バロック音楽のメロディと通奏低音の関係にワクワクしていました ~コンマスインタヴュー1~

Q:小さい頃はどんな子どもでしたか?
A:幼少時は身体の弱い子でしたが、小学校2年生の時に入った地区の剣道クラブを続けるうちに丈夫になったように思います。
まあ長野県松本市の田舎育ちですから、自然の中で小さな生き物をとったり飼ったり、友達と野球をやったり、結構外で活発に遊んでいましたから、そのおかげもあるかもしれませんね。また、玩具やゲームなどはあまり買い与えてもらえませんでしたから、遊び道具などは身の回りのもので手作りするのが当たり前でした。そうしたことの延長でしょうか、図画工作が好きで、小学生の時は美術クラブに入っていました。
ヴァイオリン以外の音楽遍歴は、小学生の時は歌と鼓笛隊(小太鼓)、中学生の時は吹奏楽(トランペット)、高校生の時は合唱(テナー)をやっていました。

Q:ヴァイオリンはいつ頃から始めたのですか?
A:私自身の記憶は判然としませんが…松本には鈴木メソッドの本拠地があり、そこで先に始めていた姉のお稽古をみて弾く真似をしていたらしいです。両親から「やってみる?」と水をむけられたときに「うん!」と言ったそうで(笑)。それで4歳のときに正式に始めました。

Q:どんな曲が好きでしたか?
A:父がバロック音楽が好きでよく聴いていたためか、バロック音楽のメロディと通奏低音の関係にわくわくしていましたね。それと同じような理由からでしょうか…オールドスタイルの楽しいジャズなんかを聴きながら変な踊りを踊ったりしていたような記憶もあります(笑)。

Q:足立シティオーケストラとの出会いは?
A:大学を出て暫く経った頃に、井上將興先生(東京音楽大学でのヴァイオリンの師匠)から「指揮の汐澤安彦先生が市民オーケストラの第2ヴァイオリンのトップ兼トレーナーをさがしていらっしゃるけれど、一度お会いしてみるか?」とお声掛け頂いたのです。大学時代に井上先生とやっていたアンサンブル藝弦という弦楽合奏団でずっと第2ヴァイオリンのトップをやっていたことや、仕事の一部で各地の市民オーケストラのトレーナーをやったりもしていたこと、またフリーランスで活動していたこと、などがお声掛け頂くことに繋がったのかもしれません。

Q:コンサートマスターとして心がけていることは何ですか?
A:コンサートマスターは‥まあ、いうなれば中間管理職ですかね(笑)。
指揮者とオーケストラ団員の皆さんとの橋渡し役やアドバイザーなのだと思っています。
心がけていることは‥個人的にですが‥もちろん音楽の勉強は大切ですが、人間の様々な表現行為について考えを深め、自然の営みを大切に思い、音楽の現場ではその時その時に手作りされる音楽のためにこそ誰に対しても公平で在りたいと自任致しております。
それと、不平等や予定調和のようなものには染まらないように気をつけています。マニュアルや形骸に置き換えた無呼吸では場が死んでしまいますから。
音楽も人も生物(ナマモノ)ですからね(笑)。
  • Commented by sakai-vn on 2012-08-13(Mon)